アメリカはここ、クリーブランド。

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キー君とMちゃんと私

今週1月10日は、ゴールデングローブ賞の授賞式がありましたね。

毎年この時期になると、ゴールデングローブ賞とアカデミー賞がメディアで話題になるけど、映画自体あまり見てないもんだから、今まであまり興味もとりわけなかったんですよ。

だって、子供達が産まれて以来、ゆっくり映画なんて見る時間なかったですから。たとえ子供達が寝たあと時間があったとしても、中年ともなると夫も私も映画なんて見るより早く寝たいっていうほど、最近では体力がなくなってますからねえ。

だから今回ゴールデングローブ賞の授賞式について知ったのも、たまたまネットでニュースを眺めて知っただけでした。そして、朝のコーヒーを飲みながら、ぼーっとNPRの記事を読んでたら、な、なんと!

主演女優賞にミシェル・ヨーが受賞!
そして、あのキー・ホイ・クァンが助演賞を獲得してたんです!

最近の世代は、おそらくピン来ないかもしれませんね。まあ、ミシェル・ヨーは、なにかとカンフー関連映画で名を馳せてるから、その筋に詳しい人は知ってる、アメリカでもまあまあ名の知れた女優さんですよね。

でも、キー・ホイ・クァンは私と同世代で、80年代に洋画に夢中になった世代じゃないと知らないのではないでしょうか。そう、当時洋画好きの間では「キー君」と愛称付けられ、ティーンの間で人気を博したかつてのアイドル子役です。

ほら、あの有名なスピルバーグ監督の名作「インディアナ・ジョーンズ 魔宮の伝説」に出演したアジア人少年。「Indy, I LOVE YOU!」と彼が叫ぶシーンは、あまりにも印象的で、ずっと忘れられないシーンのひとつ。覚えてます?

シンディー・ローパーが主題歌を歌って大ヒットした冒険映画「グーニーズ」で、天才発明少年役を演じたアジア人少年。やんちゃな白人少年達の中でも負けずと劣らず才能を発揮し、彼ら仲間をピンチから救い出す少年、覚えてます?

実は私、このキー君のファンなわけではありませんでした。でも、彼の名前と顔を見ると思い出す事がいくつかあるのです。

まず、「グーニーズ」を観て、あの世界に憧れた思い出です。スクリーン上で観るアメリカという世界。アジア人も白人もみんな仲間で冒険してる多人種の国。ああ、これがアメリカか、、、あんな風に自分も冒険したい!と大きな夢を膨らませた当時の私がいました。

そして、Mちゃん。。。Mちゃんは、子供の頃よく遊んだ近所に住む幼馴染みです。厳密に言うと、私がMちゃんのお友達だったわけではなく、3歳上の姉のお友達でした。でも、小学校へ一緒に登校したり、子供会でよく遊んでもらったり、お家に遊びに行って「うる星やつら」のコミックを借りたり、近所のお習字教室でよくお喋りしたりと、いろいろ彼女との思い出があります。

自分が小学校6年生頃から、洋画(ハリウッド映画)に興味を持ち出したのも、彼女の影響からでした。そう、彼女は当時キー君の大ファンだったんです。よく「いつかキー君に会いに行く!」と目を輝かせてたのを覚えてます。

その後、Mちゃん一家は引っ越し、同じ町内に住むことがなくなり、中学・高校へ進むにつれ、ほとんど会う事もなくりました。そして、彼女は東京で就職したと言う話を姉から聞いて以来、自分の記憶の中から彼女がどんどん消えて行くことになります。

数年前だったでしょうか、姉からMちゃんの訃報が届いたのは。。。まだ40代だったのにね。大人になってから殆ど接点もなく、お互い違う人生を歩んだけど、その訃報を聞いた時は、急に昔の思い出が蘇り、なんだかもの凄く切なくなったんです。

私にキー君を通して、洋画(ハリウッド映画)ついて教えてくれた彼女。アメリカに行きたい!と言ってた彼女。。。私も同じ夢を追いかけ、そして今アメリカにいます。きっとなにかのきっかけで再会してたら、同じように追いかけた夢について語る事もできただろうに。。。結局それもできずに終わってしまった。。。と、やるせない思いに駆られました。

一方、キー君ことキー・ホイ・クァンは、90年代からぱったりとスクリーン上から姿を消す事になります。本人曰く、当時のアメリカにおける俳優業のチャンスは、アジア人顔である自分には殆どなかったのだそう。この30年以上の間、香港映画や台湾テレビに出演したり、武術指導をしたり、香港映画で有名なウォン・カーウァイ監督の下で助監督をしたりと、裏方業に専念してたとの事でした。

いわゆる俳優業の低迷期ですよね。それも長い長い低迷期。某インタビューでも話してましたが、この低迷期はご本人にとってけっこうしんどかったらしいです。裏方の仕事をしながらも、自分の人生において何かが足りないと、俳優業の思いを断ち切れなかったのだそう。

そこで、去年春に全米公開された大ヒット映画「Everything Everywhere All At Once」出演によるカンバックです!そして、今回のゴールデングローブ賞の受賞!

彼の授賞式のスピーチは、もう涙腺大崩壊ものでしたよ。日本でも観れるかわからないけど、一応以下にて動画を貼って置きますね。

キー・ホイ・クァンの30年ぶりのカムバックは、低迷期の長さも凄いですが、アメリカにおける「アジア人中年男」のカムバックという事で、私は特別な思い入れが生まれたんですね。これが白人のおっさんだったら、ここまで感情移入しなかったと思います。

それに、映画で演じてる彼のキャラが、これまた良いんですよー。お調子もんで陽気でいつも笑顔な主人公の夫役なんですが、私がスクリーン上で記憶してたかつてのキー君が、そのまま大人になった錯覚さえ覚えました。笑顔の中にある真の強さというか、そんな感じですね。その上カンフーまでやってパカスカパカスカ爽快に敵をやっつけちゃうから、もうかっこ良すぎて惚れ惚れしてしまいました!

この映画「Everything Everywhere All At Once」の公開は、日本ではどうやら3月のようですね。かなりお勧めです!!!ぜひ機会があったら劇場まで観に行ってみてください。劇場で観た方がぜったい迫力があると思うので!

本当はこの映画自体についても、熱く語りたいのですよ。でも、あまりに記事が長くなるので、それは次のブログ記事で書きたいと思います。

アメリカに夢を追いかけ移住し、アジア系アメリカ人になった自分。
今や中年になり、かつての人生を振り返る事が増えた自分。
とにかくいろいろな事が、この映画で描かれる事と重なります。

天国からMちゃんが、キー君の復活と成功を導いてくれたのかな。。。
そう信じたくて仕方がない今日この頃です。

日本でリリースされた予告編

オリジナル予告編(英語)

自動翻訳機能にセットして観て見てください。上の予告編よりもっと濃い内容です。

町山智浩 映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』2022.04.26【今年ベスト級の面白さ!】

ほぼネタバレしてる内容だけど、なかなか良い説明してくれてるので、まだ観てない人、もしくは観てもよくわからなかった人は、よかったらぜひ参考にしてみてください。

2022年最後の投稿

ご無沙汰してました!あっという間にクリスマスも終わり、2022年も終ろうとしてますねえ。

気が付くとまたしても当ブログを3ヶ月放置してましたが、私は相変わらず子供達の学校やら課外活動やらでバタバタしながらも元気に毎日暮してます。

というのは実は嘘で😅、ちょくちょく体調は崩してました。すっかりこちらはパンデミックも終わったかのように、学校もスポーツ活動もなにもかもパンデミック前のような状況ですからねえ。おかげさまで、11月後半にあった感謝祭明けは、家族全員インフルエンザに感染してました。

インフルエンザでも、症状はまさにコロナみたいですよ。ってか、コロナがワクチン接種済みだとインフルエンザに似てるのかもしれないけど、とにかく5月初旬の春先に感染したコロナのように咳はけっこう長引きました。

それに加え、子供達の誰かが必ず風邪かなにかウィルスを、立て続けにお持ち帰りしますからねえ。いったいいつインフルエンザが治り、いつ風邪に罹ったのかわからない感じが、先週のクリスマス前まで続いていたんです。

今でも室内は空気の乾燥が酷いから、喉の調子が悪いだけなのか、また別のウィルスなのか、それともこの前の風邪の症状がただ長引いてるのかよくわかりません。喉の乾きを感じて、夜中咳き込むことがあるし、冷たい空気を吸うと咳き込むしで、なんだかなあといった感じですね。

まあ、とにかく普通に生活はできるのであまり気にしてませんが、やっぱり健康が一番だなあとつくづく思うのであります。

さて、実は最近いろいろ考えることがありました。そのひとつが、ソーシャルメディア(SNS)との付き合い方です。

4年前からでしょうか、ソーシャルメディアのツイッターを積極的に使うようになったのは。。。
トランプにもううんざり!と思うようになり、積極的にツイッターで政治情報(ニュースマガジン・新聞やジャーナリスト、また政治に詳しい研究者など)を流すアカウントを追い始めたのがきっかけでした。

同時に自分と同じような価値観をもつ在米日本人にも多く出会い、彼らとの交流がだんだん楽しいものになり、気が付くとツイッターなしでは居られなくなってたんですね。ツイッターワールド用語で言うと、まさに「ツイ廃」状態ですよ。

たくさん反応(「いいね」やコメント)を貰えば貰うほど、「こんな風に考えてるのは自分だけじゃないんだ!」という嬉しさと安堵感が生まれ、それによって自己肯定感も高まります。一方、フォロワーが増えれば増えるほど、攻撃的なリプや引用ツイートも増えるので、疲労感もどんどん増えては行きました。

それにツイッターのアルゴリズムのおかげで、汚い言葉を使う炎上芸人(つまり炎上する事でフォロワーを増やしてる、いわゆるインフルエンサーなど)のツイートが目についたり、価値観が似てて好きだった相互(つまりお互いフォローし合ってる仲)さんが、フォロワーが増えて行く度に言動が変わり、キャラが変貌していく姿に落胆したりと、最近では楽しいものというよりただ疲れるものになり、精神的にも限界を感じてました。

そこで、イーロン・マスクのツイッター買収劇です。言動の自由といいながら、結局極右派の人達のために買収したようなものですからね。しかも、本人の情緒不安定な人間性のおかげで、ツイッター社内部はカオス化し、毎日違うルールができたり無くなったりと、とにかくユーザーが振り回される状況が続いてます。

そんなカオスの中で、セキュリティ上の問題はないとは言い切れないですよね。経営上も管理上も不安定な中、いつなにが起きてもおかしくないですから。

だから、これは自分にとっていい機会かもしれないと思うようになったんです。つまり、思い切ってツイッターをやめようかなと。

もちろんツイッターでずっと平和に交流した人達はたくさん居ますよ。たわいのない事でジョークを言い合ったり、美味しいもの情報を交換し合ったりと、いわゆる自分のデジタル上のコミュニティがまだあるわけで、そんな皆さんとの交流の場が無くなるのは惜しいというのが、私の正直な気持ちです。

ただ、繋がって交流が盛り上がれば盛り上がる程、時間がそれにどんどん溶けていきます。限られた時間内にやりたい事ができなかったと言う日も、過去に多々ありました。

いや、逆に優しい方達と交流する事で、毎日の疲れが吹き飛ぶ事もたくさんあったのは事実です。精神的に疲弊してる時、誰かから「大丈夫!がんばれ!」って言ってもらえる事で、ずいぶん救われたこともありました。だからずっとツイッターが心のオアシスであったのは否定できません。やりたい事ができなくても、「ま、いっか。」と思えたんですね。

実は、来年あたりから仕事復帰しようかなと真剣に考えてます。娘も来年は小学校一年生になるので、ずいぶん手が掛からなくなるし、夫は引き続き在宅勤務なので、自分がたとえパートタイム勤務でも時間的に融通が効くと思うんです。

私は来年48歳になります。そう、アラフィフですよ!この年代で仕事復帰なんてありえない!と若い頃は思ってたけど、ここはアメリカです。なんでも可能なんですよ。いや、そうポジティブに信じないと可能にならない。それがアメリカです。

だから、48歳からの就活を頑張りたい!どうしても実現させたい!そう思い始めてるんですね。

こんな風に「きっと私でもできる!」と思え、この4年間たくさん勇気をくれたのもツイッターです。いろいろな状況で頑張ってる人が存在することを知り、私は勇気と励ましを数多くもらいました。

そう、今度は実行するのみです。私でもできるんだ!と証明するため実行するのみです。それが今私が求めてる次なるステップです。

4年間続いたツイッターでの時間は無駄だと全く思いません。そういう人生におけるひとつの段階であり、学びの段階だったのだと思ってます。

これからツイッターはビジネス的に衰退していくと予想しますが、とりあえず今現在ではアカウントは閉めずにプライベート設定(つまり鍵かけ)をしました。それから、少しずつその他ソーシャルメディアサービスでの付き合い方に慣れながら、徐々にフェードアウトしていこうと思います。

今までツイッターからこのブログを読んで下さった皆さん、ありがとうございます!

そして、たくさんの知恵と勇気と楽しい時間を頂き、ありがとうございました!

数少ないこのブログの読者の皆さんも、更新が少ないにも関わらず、ずっと見守って下さりありがとうございます!

みなさま、素敵な年末年始を送ってくださいね😊


写真は一昨日庭で撮った夕焼けです。フィルターなしの綺麗な色が撮れたけど、少しブレましたね😅

あれから27年

またしてもご無沙汰しておりました。半年も更新しない間、あーっと言う間に秋になってしまいましたね。もう外は冷たい風が吹いて寒いですよ。まさに鍋が美味しい季節の到来!(とか言いながら、家で鍋なんかした事ないんだけど😅)

さて、私は相変わらず元気です。またいつ更新できるかわからないんで、最後にさらっとこの半年間の出来事はまとめたいんですが、実は最近どうしてもここに書き留めておきたい出来事がありました。ということで、それについてちょいと書きたいと思います。

アメリカに住み始めてもう23年になります。故郷の岩手を出てからだと27年ですね。そんな私、実は故郷の同級生とはなんとたったの二人しか繋がってないんです。中学時代の友達一人と高校時代の友達一人だけ。そう、それだけなんです。(うわ!寒っ😳😆)

いやホント今や賛否両論でなにかと世間を騒がせるソーシャルメディアですが、これがなかったらたぶんこの二人とも繋がってなかったと思います。はい、それくらい私ってアンチソーシャルな人間なんです。

そもそも私ってあまり友達いないんですよ。だってもともと内向的で自己肯定感低い人間ですからね。それに子供の頃から、どうも周りと合わないと感じながら生きて来ましたし。基本一人が好きで、きっと自分って変人にしか思われてないだろうなあって思ってたから、あえて積極的に自分から繋がろうともしなかったんだと思います。

とにかく最近、その貴重な友人の一人Aちゃんから連絡がありました。高校時代に仲良しだった共通の友人Sくんがあるドラマの映画化よる特別企画動画に出演したというのです。ホント最近のネット文化・テクノロジーの発展は嬉しいですね。昔じゃ簡単に観れなかった日本のメディアが、アメリカからも観れるんですもん。ありがたやありがたや〜ユーチューブ様!

さっそく教えてもらった動画をわくわくしながら観ましたよ。だってそのSくんとは20年以上も会ってないですから。しかもそれ以来、お互い連絡せずにいわゆる「疎遠」という形になってしまってましたからね。

そして観終わった私、なんとうるうると涙が出てしまったんですね。(はい、ワタクシ、最近更年期でパンツのゴムの如く涙腺ゆるいんです😅)

ただただ懐かしくって、なんか切なくなったんです。画面に写ったSくんは20年以上前とほとんど変わっていませんでした。お互い40代半ばも過ぎたのに20代の時と変わらず若い!そして相変わらずいい笑顔をしてました。

高校時代AちゃんとSくんと私はよく放課後美術室でたむろってました。ってか、それはちょい盛り過ぎ(😆)で、当時ちょうど受験の準備中で美大や美術関係の専門学校に進学するために、美術の先生の指導の下でみんな試験勉強をしてただけなんですね。

でも私、美大に進学するつもりじゃありませんでした。すでに進学を親に反対されてたんで、いわゆる「就職組」だったんですよ。だから私だけ本来所属してた運動部をサボって、彼らや他の美術部メンバーとたむろってただけなんです。

いやホントあの時間は楽しかった!みんなと帰り道にお好み焼きを食べに行ったり、好きなアーティストのビデオを観てだべってたり(=喋ったり)して、たわいのない話や漫画の話で盛り上がったり、美術の先生に連れられて盛岡(故郷宮古市のお隣で県庁所在地)の画材屋に行ったりいろいろ。私の中では、今思うと忘れがたい青春でした。

特に高校時代は人生で一番の暗黒時代だったからです。以前ここでも書いたけど、仕事で一年ほとんど家にいなかった父が退職し、姉達はみんなすでに家を出てたんで、気難しい父と過ごす家は本当にしんどい時期でした。だからあの頃のあの時間はまさにオアシスみたいなもんですね。私も本当はみんなみたいに美大行きたかったんだよ〜🥺

あれから27年。私はアメリカに帰化し、3人の子供たちの育児に奮闘する毎日を過ごしてます。一方Sくんは今メディアに名前も顔も出る有名人に!きっと売れっ子なんだろうな〜なんて勝手に想像しながら嬉しくなりました。

コロナパンデミックがまだ終わらない今、いつ日本に帰れるのかまだわかりません。たとえ多少規制緩和されたとしても、まだ小さい子供達を連れて隔離期間を日本で過ごすのはキツイですからね。やっぱり子供達がティーンにならないと無理だろうなあと、あまり期待せずにいつか日本に帰省できる事を夢見てます。

とにかく、ぶっちゃけ死ぬ前にでもAちゃんやSくん、そしてあの頃一緒に青春したメンバー達に再会できたら悔いはないですね。

そう、人間いつ死ぬかわからないわけで、この気持ちをなんとか文字に起こして置きたくなり、こうやってブログ記事を書くに至りました。

あらえっちゃん!なにオセンチな事言って!って思われるかもしれませんがね。でもやっぱり中年にもなると「老後」や「死」というものを身近に感じ出すんですよ。それに依然つづくコロナパンデミックで、すぐに飛んで帰れないという状況じゃないすか。やっぱり「死」というものを常に意識せざるおえません。

そんなわけで、これからも健康に気をつけて、いつか日本に帰省できるように毎日がんばりたいです。たま〜に、「おらあ、みやごさかえっりてえなあ」なんて泣き言を呟きながら😂

最後になりましたが、他人にとっちゃどーでもいい私のこの6ヶ月間を月別にしてメモっておきます。

さて次はいつ更新できるかな〜🤔😅😆


6月


夏休みがはじまったけど、サマースクールには入らずに公共プールの入場パスをゲット。息子たちの仲良し君家族と1週間に一度のプレイデイトをし、それ以外はプールに行ったり、近くの公園や川や湖に出かけたりと過ごしました。一方5月終わりからノミの攻撃にあって、6月前半は家中掃除にも明け暮れました。

7月


7月も6月とほぼ同じような感じであっという間に過ぎました。写真にはないけど、次男がコツコツ貯金してずっと欲しかったカヌーを手に入れ、州立公園にみんなで行ったんですが、暑過ぎて湖は藻が繁殖し泳げたもんじゃありませんでした。今年の独立記念日も人混みを避けるために、花火大会には行かず家で手持ち花火をしながら過ごしました。

8月


8月の中旬には学校がはじまりましたが、その前にいつも遊んでくれる息子達の仲良し君家族とはじめて週末を隣町トレドで過ごしました。これがこの夏唯一の家族旅行になりました。そして子供達は約一年半ぶりに学校に通い始め、子供達の笑顔と興奮が戻ってきました。夏の間マスク着用の義務が緩和されてしまったおかげで、予想通り学校も任意のマスク着用となり、コロナ対策に関してあまり良い雲行きではありませんでした。

9月


学校がはじまって1ヶ月後に息子の学校では感染者が増えて、息子もなんと熱を出してしまいました。はじめてのPCR検査をして、結果は陰性。そうこうしてるうちに、娘も息子から同じウィルスをもらい学校を休み、それから断続的に鼻水をたらして帰ってくる事がありました。やはり学校が始まると避けられない事なのかもですね。

10月


10月はじめまで暖かったので、週末は川あそびなどに出かけました。息子達の誕生日もやってきて、晴れて11歳になり感慨深いものがありました。最近では家のお手伝いが増え、自分の部屋の掃除やトイレ掃除までしてくれるようになったので、家事も少しずつ楽になって来たかなと言う感じです。

ところが、子供達が鼻水やくしゃみを学校から持ち帰って来るようになって、まあ、そういものなのかという感じで、自分も慣れて来た10月中旬過ぎになんと再び感染者が急増。ついに1週間の学年閉鎖がありました。その期間はリモート授業が可能だったので、早急な対応の速さに感心しました。

11月現在では息子達の学校は通常に戻り感染者数も減りましたが、娘の学校は感染者が先週出てしまい学校が閉鎖中です。昨日娘のPCR検査をして来ましたが、幸運なことに陰性でした。それなのできっとコロナパンデミックがつづく限り、この繰り返しなのかもしれませんね。昨日は5歳〜11歳のワクチン接種が可能になったので、今月中になんとかワクチン接種ができる事を今は願わずにいられません。

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