あれから27年

またしてもご無沙汰しておりました。半年も更新しない間、あーっと言う間に秋になってしまいましたね。もう外は冷たい風が吹いて寒いですよ。まさに鍋が美味しい季節の到来!(とか言いながら、家で鍋なんかした事ないんだけど😅)

さて、私は相変わらず元気です。またいつ更新できるかわからないんで、最後にさらっとこの半年間の出来事はまとめたいんですが、実は最近どうしてもここに書き留めておきたい出来事がありました。ということで、それについてちょいと書きたいと思います。

アメリカに住み始めてもう23年になります。故郷の岩手を出てからだと27年ですね。そんな私、実は故郷の同級生とはなんとたったの二人しか繋がってないんです。中学時代の友達一人と高校時代の友達一人だけ。そう、それだけなんです。(うわ!寒っ😳😆)

いやホント今や賛否両論でなにかと世間を騒がせるソーシャルメディアですが、これがなかったらたぶんこの二人とも繋がってなかったと思います。はい、それくらい私ってアンチソーシャルな人間なんです。

そもそも私ってあまり友達いないんですよ。だってもともと内向的で自己肯定感低い人間ですからね。それに子供の頃から、どうも周りと合わないと感じながら生きて来ましたし。基本一人が好きで、きっと自分って変人にしか思われてないだろうなあって思ってたから、あえて積極的に自分から繋がろうともしなかったんだと思います。

とにかく最近、その貴重な友人の一人Aちゃんから連絡がありました。高校時代に仲良しだった共通の友人Sくんがあるドラマの映画化よる特別企画動画に出演したというのです。ホント最近のネット文化・テクノロジーの発展は嬉しいですね。昔じゃ簡単に観れなかった日本のメディアが、アメリカからも観れるんですもん。ありがたやありがたや〜ユーチューブ様!

さっそく教えてもらった動画をわくわくしながら観ましたよ。だってそのSくんとは20年以上も会ってないですから。しかもそれ以来、お互い連絡せずにいわゆる「疎遠」という形になってしまってましたからね。

そして観終わった私、なんとうるうると涙が出てしまったんですね。(はい、ワタクシ、最近更年期でパンツのゴムの如く涙腺ゆるいんです😅)

ただただ懐かしくって、なんか切なくなったんです。画面に写ったSくんは20年以上前とほとんど変わっていませんでした。お互い40代半ばも過ぎたのに20代の時と変わらず若い!そして相変わらずいい笑顔をしてました。

高校時代AちゃんとSくんと私はよく放課後美術室でたむろってました。ってか、それはちょい盛り過ぎ(😆)で、当時ちょうど受験の準備中で美大や美術関係の専門学校に進学するために、美術の先生の指導の下でみんな試験勉強をしてただけなんですね。

でも私、美大に進学するつもりじゃありませんでした。すでに進学を親に反対されてたんで、いわゆる「就職組」だったんですよ。だから私だけ本来所属してた運動部をサボって、彼らや他の美術部メンバーとたむろってただけなんです。

いやホントあの時間は楽しかった!みんなと帰り道にお好み焼きを食べに行ったり、好きなアーティストのビデオを観てだべってたり(=喋ったり)して、たわいのない話や漫画の話で盛り上がったり、美術の先生に連れられて盛岡(故郷宮古市のお隣で県庁所在地)の画材屋に行ったりいろいろ。私の中では、今思うと忘れがたい青春でした。

特に高校時代は人生で一番の暗黒時代だったからです。以前ここでも書いたけど、仕事で一年ほとんど家にいなかった父が退職し、姉達はみんなすでに家を出てたんで、気難しい父と過ごす家は本当にしんどい時期でした。だからあの頃のあの時間はまさにオアシスみたいなもんですね。私も本当はみんなみたいに美大行きたかったんだよ〜🥺

あれから27年。私はアメリカに帰化し、3人の子供たちの育児に奮闘する毎日を過ごしてます。一方Sくんは今メディアに名前も顔も出る有名人に!きっと売れっ子なんだろうな〜なんて勝手に想像しながら嬉しくなりました。

コロナパンデミックがまだ終わらない今、いつ日本に帰れるのかまだわかりません。たとえ多少規制緩和されたとしても、まだ小さい子供達を連れて隔離期間を日本で過ごすのはキツイですからね。やっぱり子供達がティーンにならないと無理だろうなあと、あまり期待せずにいつか日本に帰省できる事を夢見てます。

とにかく、ぶっちゃけ死ぬ前にでもAちゃんやSくん、そしてあの頃一緒に青春したメンバー達に再会できたら悔いはないですね。

そう、人間いつ死ぬかわからないわけで、この気持ちをなんとか文字に起こして置きたくなり、こうやってブログ記事を書くに至りました。

あらえっちゃん!なにオセンチな事言って!って思われるかもしれませんがね。でもやっぱり中年にもなると「老後」や「死」というものを身近に感じ出すんですよ。それに依然つづくコロナパンデミックで、すぐに飛んで帰れないという状況じゃないすか。やっぱり「死」というものを常に意識せざるおえません。

そんなわけで、これからも健康に気をつけて、いつか日本に帰省できるように毎日がんばりたいです。たま〜に、「おらあ、みやごさかえっりてえなあ」なんて泣き言を呟きながら😂

最後になりましたが、他人にとっちゃどーでもいい私のこの6ヶ月間を月別にしてメモっておきます。

さて次はいつ更新できるかな〜🤔😅😆


6月


夏休みがはじまったけど、サマースクールには入らずに公共プールの入場パスをゲット。息子たちの仲良し君家族と1週間に一度のプレイデイトをし、それ以外はプールに行ったり、近くの公園や川や湖に出かけたりと過ごしました。一方5月終わりからノミの攻撃にあって、6月前半は家中掃除にも明け暮れました。

7月


7月も6月とほぼ同じような感じであっという間に過ぎました。写真にはないけど、次男がコツコツ貯金してずっと欲しかったカヌーを手に入れ、州立公園にみんなで行ったんですが、暑過ぎて湖は藻が繁殖し泳げたもんじゃありませんでした。今年の独立記念日も人混みを避けるために、花火大会には行かず家で手持ち花火をしながら過ごしました。

8月


8月の中旬には学校がはじまりましたが、その前にいつも遊んでくれる息子達の仲良し君家族とはじめて週末を隣町トレドで過ごしました。これがこの夏唯一の家族旅行になりました。そして子供達は約一年半ぶりに学校に通い始め、子供達の笑顔と興奮が戻ってきました。夏の間マスク着用の義務が緩和されてしまったおかげで、予想通り学校も任意のマスク着用となり、コロナ対策に関してあまり良い雲行きではありませんでした。

9月


学校がはじまって1ヶ月後に息子の学校では感染者が増えて、息子もなんと熱を出してしまいました。はじめてのPCR検査をして、結果は陰性。そうこうしてるうちに、娘も息子から同じウィルスをもらい学校を休み、それから断続的に鼻水をたらして帰ってくる事がありました。やはり学校が始まると避けられない事なのかもですね。

10月


10月はじめまで暖かったので、週末は川あそびなどに出かけました。息子達の誕生日もやってきて、晴れて11歳になり感慨深いものがありました。最近では家のお手伝いが増え、自分の部屋の掃除やトイレ掃除までしてくれるようになったので、家事も少しずつ楽になって来たかなと言う感じです。

ところが、子供達が鼻水やくしゃみを学校から持ち帰って来るようになって、まあ、そういものなのかという感じで、自分も慣れて来た10月中旬過ぎになんと再び感染者が急増。ついに1週間の学年閉鎖がありました。その期間はリモート授業が可能だったので、早急な対応の速さに感心しました。

11月現在では息子達の学校は通常に戻り感染者数も減りましたが、娘の学校は感染者が先週出てしまい学校が閉鎖中です。昨日娘のPCR検査をして来ましたが、幸運なことに陰性でした。それなのできっとコロナパンデミックがつづく限り、この繰り返しなのかもしれませんね。昨日は5歳〜11歳のワクチン接種が可能になったので、今月中になんとかワクチン接種ができる事を今は願わずにいられません。