現地日本人コミュを毛嫌いする在米異邦人

関係ないけど、スリフトショップで25セントでゲットしたマグにエアプランツ君。
関係ないけど、スリフトショップで25セントでゲットしたマグにエアプランツ君。
。。。でした、ワタクシ。あら、衝撃告白!(あ、知ってた?笑)
な~んてこんなこと書いたら、逆に日本人コミュから毛嫌いされそうですな~。
でも、あえて書きたい!きっと、私みたいな異邦人がどこかで潜んでるかもしれないから。。。

結論から言いますとね、その毛嫌いは過度な憶測に過ぎなかったんですよ。今は思い切って現地日本人コミュに飛び込んで、いろんな人に出会えて良かったと思ってます。食べず嫌いと同じで、ちょこっと味見してみてわかる醍醐味?とにかく、なんでも試してみないとわからないものだな、と思う今日この頃です。

さて、そんな私ですが、どうしてそんなに毛嫌いしてたのかというと?
それは一言で言ってこれです。

自分に自信が無かった


もともとワタクシ、日本では浮いてました。今でもかなり浮きまくってるマイノリティーですが、縦社会・ムラ社会・ルール社会の日本では息苦しかった。おかげで反逆児的なところがあって、あえてそんな社会に逆行するわけですから、浮くわ浮くわのムラハチ状態(笑) 出る釘はとことん打たれて、自由と平等、個人主義のアメリカに憧れを抱くようになったのでした。

それと、アメリカに来たばかりの時は英語習得が大目的だったから、あえて日本人と繋がろうとはしなかったのもひとつの理由かも。だからって、英語力が未熟な日本人に対してアメリカ世間の風当たりは優しいわけではない。結局どっちにも付かずという状態がしばらく続くわけですよ。それと同時に、アメリカへの大きな期待と夢は大学卒業と共に崩れます。理想の自分からかけ離れた現実は痛かった。この劣等感のおかげで、見かけやステータスを重視する日本人社会に対し嫌悪感と憶測がどんどん募っていくばかり。でも、なんか寂しいもんだから、ネットでブログ書き始めたりして、世界のどこかにいるかもしれない同胞探し、自分探しが始まるのでした。

と、なーんか完全孤立してるような言いっぷりですが、厳密に言うとそんなでもなかったですよー(笑)。ちらほら大学時代の同級生繋がりとか、偶然の出遭いとかけっこう出遭いはありましたから。ただ、日本人が多く集まるコミュニティに入ってなかっただけ。「コミュニティ=社会」ですから、それゆえ避けてただけですね。

じゃあ、どうして自分の中で変化が起きたのかというと?結局のところ、ネット上の出遭いだけでは満たされないという現実でしょうか。それと、どこへ行っても日本人と関わる限り、日本社会はいつもあることにも気づきました。同時に、日本社会の嫌な部分をばかりを見るあまりに、自分が閉鎖的になって行ったことにも気づきました。そして、閉鎖的な思考は自分の世界をどんどん狭めて行くことにも。

自分と価値観が似た人間に出会うのは確かに簡単ではないけど、だからって出遭いのチャンスを自ら閉ざすことは、それこそ失望そのものではないかと思うんです。昔、人生最悪の大失恋をしたとき、誰かがこんなことを言ってくれたんです。良い出遭いとは、100発1中にあるって。つまり100発も打ってみないと1発も当たらないのが常。だからダメならただ次を目指してどんどん先に進むのみ。これは恋愛だけに限らない。人との出遭いはもちろん、人生のチャンスも自分から手を差し伸べないと掴めない。。。なーんて、どっかの偉人の言葉そのまんま借りて来たカンジだけど(笑)

全てにおいてそうだけれど、嫌な部分ばかりに焦点を当てずに、良い部分をフォーカスしながらポジティブに身構えると可能性が広がります。かつて自信がなかった私は、そりゃあネガティブでダークサイドムーンに住むダースベーダー状態。今だって超自信満々(ってか、それじゃあ、ちょっと困ったちゃん;笑)ってわけには行かないけど、前より「ま、いっか。」っていうスタンスを簡単に取れるようになって、劣等感よりも「私は私で良いのだ!」という満足感が得られるようになりました。それもこれも、たぶん子供たちのおかげかもしれませんが。

結局なにが言いたいのかというと、まあ、やっぱり柔軟になるって大事かなと。自分がもつ固定観念に囚われず、柔軟にものごと受け止める。ひとつがダメなら次へ進み、明るい可能性を目指すってやつ。いや、ホント日々そんな風に自分に言い聞かせてますよ。ダースベーダーじゃ、ちと人生寂しいですからね~。

それにしても、クリーブランドの雪!今年はホントによく降りますねー。
また大寒波がやってくる予報なので、皆さんお気をつけてくださいましー。